極私的音楽嗜好トランスミッション

過去のロック名盤や現在進行形のアーティストで、特にハマった作品を紹介していきます。

 

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一度ハマるとクセになるローリング・ストーンズの全盛期(1)

ROLLING STONES1
ローリングストーンズというのは不思議なバンドである。特にここ、日本においては。

バンド自体の知名度に関しては、それこそ同期デビューのビートルズと肩を並べるぐらいの高さを誇っている。おそらく洋楽ロックにそれほど興味がない人でも、多くは「ミック・ジャガーという人がボーカルをやってる、すっごく息の長い大御所バンド」くらいの認識は持っているのではないだろうか。

ところが、そうした「ローリング・ストーンズという名前は知っている」という人に、「じゃあローリングストーンズの中で聴いたことある曲は?」と問えば、かなりの割合で何一つ出てこないのではないだろうかと思うのだ。

もしかしたら「サティスファクション」ぐらいの曲名は出てくるかも知れないが、これだってかなり怪しいと僕は思う。

このように彼らの楽曲の知名度は、その存在の知名度の高さに比べると、異常なまでに低い。

日本の場合、イーグルスの「ホテルカリフォルニア」やデレク&ドミノスの「レイラ」など、曲は一度や二度どこかで聴いたことあるが、誰が歌っているのかはよく知らないというパターンは結構あるのだが、ローリングストーンズはこれとは全く逆の珍しいパターンだ。

まあ、だからどうだということもなく、ただそれだけのこと。で、今回はそんなローリングストーンズのアルバムや曲について書いておきたい。

ちなみに、僕は1981年発表のアルバム『Tattoo You(刺青の男)』より後の彼らの作品は全くと言っていいほど聴いていない。だから、レコードデビューした1962年から、この『Tattoo You(刺青の男)』までの期間が僕にとってのローリングストーンズである。“僕にとって”というよりも、おそらく1960年代、70年代こそ、ストーンズが最も脂の乗っていた時期という点については、誰も異論はないだろう。

まず1962年のデビューから1967年のアルバム『サタニック・マジェスティーズ』まで。この時期は正直言ってアルバムとして着目すべき作品はない。しかし、この頃の彼らに聴きどころは皆無かと言うとそんなことはなく、シングル曲を中心に好きな曲はいっぱいある。

「黒くぬれ!」「夜をぶっとばせ」「ハブ・ユー・シーン・ユア・マザー、ベビー、スタンディング・イン・ザ・シャドウ?」「ルビー・チューズデイ」「マザーズ・リトル・ヘルパー」「この世界に愛を」「アンダー・マイ・サム」「アズ・ティアーズ・ゴー・バイ」「一人ぼっちの世界」「ハート・オブ・ストーン」「プレイ・ウィズ・ファイア」「シーズ・ア・レインボー」「チャイルド・オブ・ザ・ムーン」といったところがこの時期まで僕のお気に入りナンバーで、1960年代後半特有のサイケな色合いが加味されている曲が多い。

なお、これらの曲は『ホット・ロックス 1964-1971』『モア・ホット・ロックス Big Hits & Fazed Cookies』という編集盤でほぼ網羅されている。

さて次にいよいよ彼らがアルバムアーティストとしても本領を発揮する1968年のアルバム『ベガーズ・バンケット』~1974年の『イッツ・オンリー・ロックン・ロール』まで。まさしく「セックス、ドラッグ&ロックンロール」を体現し、彼らがもっとも妖しく危険な匂いをプンプンさせていた時期である。

この時期に発表されたアルバム、特に1968年発表の『ベガーズ・バンケット』~1972年の『メインストリートのならず者』までの4枚は、ストーンズフリークの間でも「彼らのベスト作品」として挙げられるものが多い。

『ベガーズ・バンケット』
(1)悪魔を憐れむ歌 (2)ノー・エクスペクテーションズ (3)ディア・ドクター (4)パラシュート・ウーマン (5)ジグソー・パズル (6)ストリート・ファイティング・マン (7)放蕩むすこ (8)ストレイ・キャット・ブルース (9)ファクトリー・ガール (10)地の塩

1968年発表。このアルバムの聴きどころは何と言ってもM1「悪魔を憐れむ歌」に尽きる。コンガとマラカスによる土着的なリズムをバックに、ファンキーなピアノとベースが曲を引っ張り、フリーキーなギターソロが炸裂する、数あるストーンズナンバーの中でも異彩を放つカッコいい曲だ。ほかには、ブルースをベースにオリジナリティ溢れるパーカッシブなサウンドを確立しているM5「ジグソーパズル」やM8「ストレイ・キャット・ブルース」、ブルース調のバラードから次第にテンポアップしていき、最後はコーラスも交えて大いに盛り上がるM10「地の塩」といった曲が素晴らしい。彼らのアルバムの中で僕が最も好きな作品である。ただ、ここで紹介する彼らの名盤の中では、かなり泥臭いブルースの要素が強く、やや取っ付きにくいかも知れない。


『レット・イット・ブリード』
(1)ギミー・シェルター (2)むなしき愛 (3)カントリー・ホンク (4)リヴ・ウィズ・ミー (5)レット・イット・ブリード (6)ミッドナイト・ランブラー (7)ユー・ガット・ザ・シルヴァー (8)モンキー・マン (9)無情の世界

1969年発表。前作『ベガーズ・バンケット』と並んで1960年代のストーンズの傑作と称されている。一応ブライアン・ジョーンズが参加した最後の作品であるが、もはや主導権は完全にミック・ジャガーとキース・リチャーズ。アルバム中、僕が一番好きな曲はM8「モンキー・マン」。終始かき鳴らされるギターのリフがかっこよく、バックのちょっとリリカルなピアノの旋律が印象的な曲だ。ソウルフルなロックナンバーM4「リヴ・ウィズ・ミー」や、不穏な雰囲気漂うソウルナンバーM1「ギミー・シェルター」、ハープが曲を引っ張る、もろブルースなM6「ミッドナイト・ランブラー」もカッコいい。ラストのM9「無情の世界」の盛り上がりも感動的。

ローリング・ストーン名盤・名曲解説 後編に続く


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ブラックミュージックをイギリス人によるヨーロピアンロックへと完全に昇華したロキシー・ミュージック

ROXY MUSIC デビッド・ボウイと並んで、僕の中で最重要UKロックアーティストであるのがロキシー・ミュージックだ。おそらく洋楽ロック、UKロック好きの多くの人にとってもそうではないかと思う。

全キャリアを通じて、駄作の極めて少ない、つまりいずれの曲もアルバムも、非常に重要度および完成度の高い作品で一貫しているという意味において、僕の中では、ポップ・ミュージックの最高峰に位置づけられている。

そのロキシー・ミュージックの足跡をざっと辿ってみるとこうだ。

デビュー当初はアマチュアリズム丸出しで、初期衝動そのままにポップな面と実験性を織り交ぜたヘンテコポップロックを展開。

彼らの実験的側面を大いに担っていたブライアン・イーノが脱退し、ブライアン・フェリーのワンマン体制が整っていくに従って、前衛的な面も残しつつ、華麗で退廃的なロキシー流ポップサウンドが完成していく。

これまでの集大成的アルバムを残して活動停止。

ブライアン・フェリーを中心に、かつてのメンバーはギターのフィル・マンザネラ、サックスのアンディ・マッケイのみが参加する形で再結成。リズム隊にセッションメンバーを起用することで、よりボトムがしっかりとし、ブラックミュージック色を強めたプロフェッショナルで洗練されたサウンドに変貌。

楽曲、サウンド、録音状態、いずれを取っても「大人も味わえる完成品としての洗練ポップロック」といえるアルバムを残して解散。

このようにロキシー・ミュージックのディスコグラフィーは、バンドとしての一体感やバンドならではのマジックといった面を抜きに、ブライアン・フェリー一人の音楽ユニットとして考えた場合、ある意味「ポップフィールドで勝負する音楽アーティストの一つの理想形」と言ってもいいような、見事な経歴なのである。

ほぼ全ての楽曲を手がけているのがブライアン・フェリーであり、ロキシー・ミュージックはほぼ彼のワンマンバンドなので、基本的にその音楽性はある意味一貫している。なお、ついでに触れておくと、彼らはアルバムジャケット写真に関しても、デビュー作からラスト作まで常に女性モデルが飾っているという点で一貫していた(女装した男性やマネキン人形という例外もあるが)。その、まるで女性ファッション誌に見開きで掲載されている化粧品や香水の広告のような妖艶なジャケットデザインも、見事にロキシーの美学を象徴していた。

そんなロキシー・ミュージックであるが、、一応ブライアン・イーノ在籍時代を第一期、イーノ脱退後から活動停止までを第二期、そして再結成からラストアルバム『アヴァロン』までを第三期と分けることができる。

第一期にあたるアルバムはデビュー作『ロキシー・ミュージック』と2nd『フォー・ユア・プレジャー』の2枚のみ。記念すべきデビュー作という意味では前者も重要ではあるが、1枚に絞るとすればやはり『フォー・ユア・プレジャー』が必聴であろう。特にM5「In Every Dream Home A Heartache」が聴きどころだ。沈鬱で不安げな雰囲気の曲調に、呟くようなフェリーのボーカルが、“夢のような豪邸暮らしの男が、共に暮らすパートナーとして手に入れたのは、メールオーダーで購入したダッチワイフ(女性のビニール人形)”という病んだ世界観を歌う。

第二期はロキシー・ミュージックのキャリアの中でも僕の最も好きな時期。ソウルやR&Bをベースに、若干の前衛性も加味し、フェリー流ロマンティシズム溢れるヨーロピアンサウンドが完成をみた時期である。特に3rdアルバム『ストランデッド』と第二期の最後を飾る『サイレン』の2枚は僕の中でのロキシーのアルバムTOP2だ。

『Stranded』
(1)Street Life (2)Just Like You (3)Amazona (4)Psalm (5)Serenade (6)A Song For Europe (7)Mother Of Pearl (8)Sunset

イーノ脱退後に発表された3rdアルバム。妖しさとロマンティシズム溢れるロキシー独自のロックサウンドが早くもここで完成されている。シングルヒットしたM1「ストリート・ライフ」、脱力系ファンクナンバーで、途中思い切りエコーがかかったノイジーなギターのブレークもカッコいいM3「アマゾナ」、そしてハードなロックサウンドから中盤以降一転、ゆったりと耽美でリリシズム漂うメロディが延々と奏でられるM7「マザー・オブ・パール」などが僕は特に好きで、とにかく駄曲がない。

『Siren』
(1)Love Is the Drug (2)End Of The Line (3)Sentimental Fool (4)Whirlwind (5)She Sells (6)Could It Happen To Me? (7)Both Ends Burning (8)Nightingale (9)Just Another High

ロキシー・ミュージック第二期のラストを飾る通算5作目のアルバム。これまでの集大成的な面を持ちつつ、第三期(再結成後)の洗練されたファンクやディスコ・サウンド、ニューウェイヴ路線の萌芽も感じさせる内容。M1は彼らの代名詞とも言える大ヒットナンバー。タイトなドラムとファンキーなベースがグイグイ引っ張っていく強力ロックナンバーM4「ワールウィンド」、退廃的ムードを湛えながらもファンキーに跳ねるポップナンバーM5「シー・セルズ」、クールなシンセサウンドが心地よい疾走感溢れるダンスナンバーM7「ボース・エンズ・バーニング」の3曲が特に好きだが、このアルバムも全曲粒ぞろいである。

さて、アルバム『Siren』を最後に解散したロキシー・ミュージックだったが、3年あまりの沈黙を経て再び始動。『Manifesto』『Fresh & Blood』そして正真正銘最終作『Avaron』の3枚のアルバムを残す。

この第三期ロキシーが発表した3枚のアルバムはどれも完成度が高く、甲乙つけがたいのだが、1曲選べと言われたら、やはり『Fresh & Blood』収録曲でシングルとしてもヒットした「Same Old Scene」になるだろう。

前作『Siren』でみられたファンキーでダンサブルな要素と爽快感のあるサウンドが、より洗練されたポップチューンとして昇華された名曲である。

そしてアルバム1枚を選ぶなら、やはり最終作『Avaron』が挙げられる。第三期どころか、これをロキシー・ミュージック全キャリア通じての最高傑作とする声も多い。

かつてのロキシーにあった退廃的な面はかなり薄れ、ロキシー流耽美主義に貫かれたミディアムテンポのファンクやソウルフルロック、バラードを、非常にクリアなサウンドで聴かせてくれる内容となっている。

僕としては、このアルバムはあまりにも落ち着きがあって“優等生的”なところがやや物足りなく、退廃的で激しい要素もあった時期の傑作、『Stranded』と『Siren』の方が好きなのだが、しかし、「成熟した大人のカッコいいロック」としてこの『Avaron』も必聴盤であることに変わりはない。

『Avaron』
(1)More Than This (2)The Space Between (3)Avalon (4)India (5)While My Heart Is Still Beating (6)The Main Thing (7)Take A Chance With Me (8)To Turn You On (9)True To Life (10)Tara

ロキシー・ミュージックが最後に到達した、ブラックミュージックを完璧なまでに良質のロキシー流ロックとして消化しきった傑作アルバム。収録曲はどれも見事だが、敢えて絞れば、ファンクナンバーのM2「スペース・ビトウィーン」、ゆったりとしたレゲエのリズムによる心地良いバラードM3『アヴァロン』、これぞ“大人のポップなソウルロック”と言えるM7「テイク・ア・チャンス・ウィズ・ミー」の3曲が僕は特に好きだ。


 

愛すべき無節操・ノンポリ元祖パンクバンド「ダムド」

The Damnedロンドンパンクの御三家としてよく並び称されるのがセックス・ピストルズ、クラッシュ、そしてダムドである。

中でもセックス・ピストルズは、1977~1979年のロンドンパンクムーブメントを象徴する存在として、洋楽ロックにそれほど詳しくない者でもその名前やヒット曲「Anachy In The UK」はよく知られている。

また、クラッシュはパンクムーブメントが終焉した後も優れた作品を残していったバンドとして、パンク好きだけでなく、広くロック好きの間でも評価されているバンドだし、今は亡きジョー・ストラマーも“誠実なロックヒーロー”として厚い支持を集めている。

そんな中、ザ・ダムドだけは、“ロックヒストリーにその名を残す偉大な先人”といった扱いからは若干ズレてしまっている。ともすれば“B級バンド”に近い扱いでさえある。

しかし、クラッシュやジョン・ライドンとはまた違った意味で、このダムドも愛すべきバンドなのである。

ピストルズやクラッシュが“伝説”扱いなのに対し、どうしてダムドは“永遠のB級バンド”なのか?

その大きな理由はいたってシンプル。クラッシュやピストルズはずっと以前に解散してしまったバンドだが、ダムドは2013年現在も存続中だからだ。

パンクバンドとして史上初のレコードを世に送りだしたダムドだが、また彼らは真っ先に解散してしまう。
しかし、あっさり再結成。その後また解散し、そしてまた再結成。以降、メンバーの脱退&再加入を繰り返しながら、唯一デビュー時からずっと“ザ・ダムド”でい続けるボーカルのデイブ・ヴァニアンを中心に、ギターのキャプテン・センシブルが再加入した状態で現存しているのである。

その活動期間中、新作も時々発表しつつ、多くのパンク~ポストパンク期のアーティストが過去の名曲の披露を“後退だ”として頑な拒み続けるなか、大いにかつての名曲の大ナツメロ大会的ツアーも行ってきたダムド。

つまり、実に節操もなければ、ポリシーもないバンドなのだ。

また、パッと見のファッション性もダムドは他のパンクバンドとは違っていた。破れたTシャツやレザーのパンツ、アーミーシャツといったパンクファッションで統一されているバンドが多い中、ダムドはといえば、キャプテン・センシブルは何だかよくわからない鳥の着ぐるみのようなフワフワの毛がいっぱいの服。そしてデイブ・ヴァニアンはフリル付ブラウスに黒スーツ、髪はオールバックで、顔を白塗りというドラキュラ伯爵のようないでたち。実にキワモノ的佇まいだったのだ。

また音楽面においても、ピストルズやクラッシュのようなメッセージ性はダムドには皆無である。

しかし、彼らのこうした点が逆に、ピストルズやクラッシュに対して、「何をそんなに大真面目に深刻ぶっているんだい?オレたちバンドがやってることなんて、ギターを掻き鳴らしてドラムを打ち鳴らし、それに合わせてオーディエンスが飛び跳ねる。ただそれだけのことじゃないか」とでも言ってせせら笑っているようで、そこが痛快でもあり、またクールにも感じられるのだ。

これといったメッセージ性も音楽的革新性もないが、しかし彼らの音楽は実に聴いていて心地よいポップなギターロックの宝庫。ブライアン・ジェイムス在籍時のガレージパンクサウンドもいいし、第一回再結成時代のキャプテン・センシブルのひねくれポップサウンドとデイブ・ヴァニアンのゴス趣味とが混在した諸作品も最高である。

Damned Damned Damned
Damned Damned Damned 彼らのデビューアルバム。ブライアン・ジェイムスのささくれ立ったギターサウンドやラット・スキャビーズのドラミングが印象的。名曲「New Rose」のほか、「Fun Club」、「See Her Tonite」がメチャクチャかっこいい。また「Feel The Pain」のドロっとした雰囲気も好き。

MACHINE GUN ETIQUETTE
MACHINE GUN ETIQUETTE 第一回再結成後最初のアルバムで、通算3枚目。多くの人が彼らの最高作として挙げているように、僕もこれが一番好きだ。ブライアン・ジェイムスに変わってキャプテン・センシブルが音楽的中心になったことにより、ポップな色合いが増したガレージパンクサウンドとなっている。「Noise Noise Noise」は僕の中でのダムドのベストナンバー。その他、「Melody Lee」「I Just Can't Be Happy Today」、ヒットした「Love Song」、そしてアルバムタイトル曲などカッコいい曲のオンパレード。デイブ・ヴァニアンのB級ホラー趣味全開のゴシックロック「Plan9 Channel7」もいい。
Strawberries
Strawberries 通算5枚目で、キャプテン・センシブル在籍時最後のアルバム(その後1996年に再加入)。チープなオルガンの音とギターの掛け合いがカッコいいポップナンバー「Dozen Girls」は、マシンガン・エチケット収録の「Noise Noise Noise」に次いで僕の好きな曲。またハードなギターとタイトなドラムがカッコいい「Ignite」、キャプテン・センシブルのポップセンスと、デイブ・ヴァニアンのゴシック趣味がうまく混ざり合った「Bad Time For Bonzo」も傑作。



 

未だにどこかでザ・スミスを卒業できないでいる自分

The Smiths80年代のUKロックにハマっていた人たちの中で、「ザ・スミスが特別な存在だった」という人はかなりいると思う。

僕もその一人だ。

ザ・スミスのアルバムでは「クイーン・イズ・デッド」が彼らの出世作であり、また、多くのロック名盤ガイドなどでこの作品が彼らの代表作として紹介されていることも多い。

しかし僕は、このアルバムで一気にザ・スミスに対する興味が失せたのだ。

この作品以降のシングル諸作や、ラストアルバムとなる「ストレンジウェイズ、ヒア・ウイ・カム」を僕が聞いたのは、彼らが解散して暫く経ってからのこととなる。

確かに「クイーン・イズ・デッド」も悪くはないし、結果的に後追いで聴くことになったこのアルバム以降に発表された数々のシングルやアルバム「ストレンジウェイズ、ヒア・ウイ・カム」収録曲の中にも好きな曲は幾つかある。

例えば、「Ask」「you just haven't earned it yet baby」「Sheila Take A Bow」などは、曲としてはかなり好きなスミス・ナンバーである。
「クイーン・イズ・デッド」収録曲の中でも、「There Is A Light That Never Goes Out」や「The Boy With The Thorn In His Side」などは名曲だと思う。

ただ、アルバム「クイーン・イズ・デッド」以降のザ・スミスは、やや“普通のUKギターロック”になってしまった感があるのだ。

「クイーン・イズ・デッド」までのザ・スミスには、普通ではない“危うさ”があった。数多あるロック・バンドの中でもザ・スミスほど、“繊細で傷つきやすい少年のような危うさ”を感じられるアーティストは稀であった。

そして、よく言われるように、太宰治の「人間失格」などで提示されているのと同様の“社会不適合者”としての焦りと意地の葛藤が感じられた。

思い返せば、人付き合いが苦手で、向上心も殆ど持ち合わせていなかった僕が、そこを改善しようと努力することなく、極めて自堕落な学生生活を送ったのも初期のザ・スミスのせいである。

モリッシーの書く詞には、「気が弱い」「学校に行きたくない」「仕事に行きたくない」「他人とうまく馴染めない」…そんな“負”の要素が満ち溢れていた。

多くの人間が少年・少女の頃にはこうした弱い部分を多分に持っている。しかしまた、多くの人間がどこかの時点で「いつまでもそんな“弱い子供”ではいられない」と割りきって現実社会に自分を適合させていく。

ところがザ・スミスを体験した者の中には、その軌道修正ができず、というか敢えて軌道修正しようとせず、「こんなクソッタレな現実社会に自分を適合させてたまるか」と、いつまでも青臭い“子供”のまま大人になってしまった人も少なくないのではないだろうか。

僕も、どこかで「こんな自分ではダメだ」と焦っていたところに、モリッシーの詞と出会ったことによって「いや、このままでもいいんだ。無理して現実社会に自分を適合させなくていいんだ」と思ってしまったクチである。

初期の彼らの曲で僕の好きなナンバーの一つが「Accept Youself」という曲。この曲は彼らにしては珍しく比較的ポジティブな内容とされているが、それでも“他のみんなは愛を克服したけれど、ぼくは逃げた/部屋にこもって、計画を練ったんだ”と、多くの人が恋愛の対処法を身に着けていくなか、自分は恋愛に対して臆病なまま家に引きこもったと歌われている。

恋愛することに臆病で、行動に移せない…なんと“厨房”的であろうか。

そしてこの曲では「でも、そんな自分を受け入れるしかないじゃないか」と歌われる。

そう。気が弱くて、臆病で、他人と馴染めず、うまく異性と恋愛もできない。でもそれが自分なのだ。そんなダメダメ人間である自分と一生付き合っていくしかないのである。

ジョニー・マーの作る曲も、初期の頃には独特の繊細さが感じられた。そして、彼らの出身地であるマンチェスターの寂れた工業都市の荒涼とした情景が想起された。

「William It Was Really Nothing」「I want the one I can't have」「Nowhere fast」といった曲は、特にそんなイギリス労働者階級の住む寒々とした街の情景が感じられるサウンドとなっている。

それが、「クイーン・イズ・デッド」以降、ジョニー・マーの作るサウンドには“UKを代表するロック・バンドたらんとする野心”が、そしてモリシーの書く詞には“ネガティブな作詞家としてよりインパクトのある言葉やメッセージを発しなければという気負い”が、それぞれ感じられるのだ。そしてそれは、以前まで彼らが放っていた危ういほどの少年性が希薄になったという印象でもあった。

初期の彼らのシングル曲やジョン・ピールセッションで録音された曲を集めた編集盤「ハットフル・オブ・ホロウ」のラストに収められた曲「Please, Please, Please, Let Me Get What I Want 」。

“随分と長い間 何の夢もなかった”
“ほら、こんな人生を送っているうちに”
“善人もすっかり悪い人へと変貌してしまったよ”
“だから一生に一度だけ”
“どうかぼくの欲しいものを手に入れさせておくれ”

と、非常に切ない詞が歌われる曲だ。

この曲のエンディングでは、マンドリンの美しい調べがまるでホワイトアウトするかのように、儚げに消えていく。

今思えばそのエンディングは、ザ・スミスの“純粋で繊細な少年期”の終焉を象徴していたかのようだ。

次のアルバム「ミート・イズ・マーダー」ではまだヒリヒリとした少年の精神性が感じられるのだが、アルバム「クイーン・イズ・デッド」に至って彼らはもはや“弱々しくて世間に馴染めない少年”から脱皮してしまったのかも知れない。

初期のザ・スミスによって、すっかり“純粋で繊細で弱い少年期”を抜けだせなくなってしまったままの僕らを置いて…。

The Smiths
The Smiths 1)Reel Around The Fountain 2)You've Got Everything Now 3)Miserable Lie 4)Pretty Girls Make Graves 5)The Hand That Rocks The Cradle 6)This Charming Man 7)Still Ill 8)Hand In Glove 9)What Difference Does It Make? 10)I Don't Owe You Anything 11)Suffer Little Children
記念すべき彼らのデビュー・アルバム。セカンド・シングルにしてUKインディチャート1位を獲得した名曲M6は、本来このアルバムには未収録だったが、今主に出回っているCDでは追加収録されているようだ。疾走感のあるM7のギターリフがめちゃくちゃカッコよくて好きだった。

Hatful of Hollow
Hatful of Hollow 1)William, It Was Really Nothing 2)What Difference Does It Make? 3)These Things Take Time 4)This Charming Man 5)How Soon Is Now? 6)Handsome Devil 7)Hand In Glove 8)Still Ill 9)Heaven Knows I'm Miserable Now 10)This Night Has Opened My Eyes 11)You've Got Everything Now 12)Accept Yourself 13)Girl Afraid 14)Back To The Old House 15)Reel Around The Fountain 16)Please, Please, Please, Let Me Get What I Want
これまでのシングルB面や、ジョン・ピールセッションでの録音、ライブ音源などを集めた編集盤だが、1stアルバム未収録曲が多く入っており、十分新作2ndアルバムとして聴ける。「This Charming Man」はこちらに収録されているバージョンの方が僕は好き。本文でも触れたがM12も僕にとっては重要なスミス・ナンバー。また、M1、M9も名曲だ。

Meat Is Murder
Meat Is Murder 1)The Headmaster Ritual 2)Rusholme Ruffians 3)I Want The One I Can't Have 4)What She Said 5)That Joke Isn't Funny Anymore 6)How Soon Is Now? 7)Nowhere Fast 8)Well I Wonder 9)Barbarism Begins At Home 10)Meat Is Murder

編集盤を除いて彼らの2ndにあたるアルバム。「食肉は殺戮行為だ」という、欧米のインテリ菜食主義者のセリフのようなアルバムタイトルや同タイトル曲がどうもいただけない。この頃からモリッシーはインタビューなどで政治的な発言も多くなる。こうしたちょっと“ガッカリ”な面が感じられ始めた彼らではあるが、それでもこのアルバムのM1~M4やM7は、労働者階級貧民層のヒリヒリとした生活感や雰囲気が伝わってくる曲調で、かなり好きである。



 

ゴールデンイヤーズを自らキレイに締めくくったデビッド・ボウイ

David Bowie デビッド・ボウイが、ロックヒストリーを語るうえで絶対に外せないアーティストの一人であることは、多くの人にとって異論の余地がないだろう。

ソロアーティストとしてデビューし、いきなりの出世作となる、地球から遥か彼方の空間を彷徨う孤高の宇宙飛行士、トム少佐を歌った「スペース・オディティ」。

架空のロックスターの盛衰を描いたグラムロック期のアルバム『ジギー・スターダスト』。

ファンクやソウルミュージックを見事にヨーロッパ人、イギリス人として消化したアルバム『ステーション・トゥ・ステーション』

ドイツ・ベルリンに新たな拠点を置き、ブライアン・イーノとともに作り上げた、テクノポップやジャーマン・ロックの色合いが濃いアルバム『ロウ』。

このように音楽性やテーマを変化させながら、1970年代の10年間、ほぼ常にエポックメイキングな作品を発表し続け、様々な人から様々な解釈を議論され、様々な人に影響を与え続けてきたアーティストである。

中でも『ジギー・スターダスト』は、ロック史に燦然と輝くコンセプト・アルバムの名作として、彼の代表作の筆頭に挙げられている。

僕もその『ジギー・スターダスト』は、ほぼ同時期に制作された『ハンキー・ドリー』とともに大好きな作品であるし、またベルリン時代の2枚のアルバム『ロウ』と『ヒーローズ』もかなり自分にとって重要な作品である。

Hunky Dory
Hunky Dory
Rise & Fall of Ziggy Stardust & Spiders From Mars
Rise & Fall of Ziggy Stardust & Spiders From Mars


Low
Low
Heroes
Heroes

さらに、ソウル・ファンクを取り入れた時期とベルリン時代の中間的作品である『ステーション・トゥ・ステーション』も傑作だと思っている。
Station to Station
Station to Station

つまり僕にとっても、デビッド・ボウイはそのキャリア全般を通じて重要作が多数あるアーティストなのである。

ただ、『ジギー・スターダスト』や『ロウ』は、今さらここで絶賛するまでもなく、様々なメディアで高い評価がなされているわけだ。

そこで僕は今回敢えて『スケアリー・モンスターズ』というアルバムを取り上げたいと思う。

『スケアリー・モンスターズ』は、ベルリン制作の『ロウ』『ヒーローズ』『ロジャーズ』という3枚のアルバムを経た後、1980年に発表された通算13枚目のアルバム(編集盤除く)である。

このアルバムの中で特に僕の好きなナンバーが「Fashion」「Because You're Young」「Ashes To Ashes」「Teenage Wildlife」の4曲。

「Fashion」は、金属を電気ノコギリで切り裂いているようなロバート・フリップによるエキセントリックなギターが印象的な曲で、誰もが一つの流行に右にならえの風潮を、ファシズムになぞらえて警鐘を鳴らしている歌詞も面白い。

「Because You're Young」はキーボードがポップな味つけを果たしているカッコいい曲で、この曲にはフーのピート・タウンゼントがギターで参加している。

そしてこのアルバムのハイライトとも言えるのが「Ashes To Ashes」。ファンクもしくはブギのリズムに乗せて、不思議な味わいのキーボードの音が先導していく曲で、幻想的でシュールなビデオクリップも話題となった。

この曲でデビッド・ボウイは、かつての名曲「Space Oddity」に登場した孤高の宇宙飛行士・トム少佐を、「(崇高な存在の象徴でも何でもない)ただのジャンキー(ヤク中)だった」と歌っている。

さらに歌詞の中にはこんな一節も聞かれる。「私は善いことをしたためしもなければ、悪いことをしたためしもなかった」「私は氷を砕く斧が欲しい。ここからすぐにでも降りていきたいのだ」と。

これら一連の歌詞を聞いていると、次のような含みが連想されはしないだろうか?

「私(デビッド・ボウイ)がこれまで音楽の中で登場させてきた(そして自分自身も成りきってきた)様々なパーソナリティについて、何か重要な意味が含まれているかのような解釈がされているが、過去の私はクスリ漬けだったのであり、あれらのパーソナリティはそんなクスリ漬けの人間の生み出した妄想に過ぎない」
「私自身も随分神格化されてきたが、これまでのキャリアなど世間に善い影響も悪い影響も与えていない、取るに足らぬものだ」
「もう私は、今の神格化されたロックスターというイメージを打ち砕いて、今いる立ち位置から降りたいのだ」
という風に。

もっと極端に意訳してしまえば、「ドラッグキメてハイな気分のときに書いたような今までの歌が、一人歩きしちゃって何か深読みされてるけどさ、正直言ってあんなの大した意味ないんだよね。俺自身もやたら神格化されちゃって引っ込みがつかなくなっちゃってたけど、もうムリ。脱ドラッグもとっくに果たしたし、妖しいカルトスター・ボウイでい続けるのは悪いけどもうカンベン」といったところか。いわばそれ言っちゃオシマイでしょ的な“ぶっちゃけ”ソングである。
そして最後にもう1曲、僕の好きなアルバム収録曲「Teenage Wildlife」。あまりメロディラインの起伏がない、ゆったりとした大らかな曲調が淡々と続く曲だが、伸びのあるボウイのボーカルとロバート・フリップのギターが素晴らしい。また、この頃までのボウイには珍しく、清々しい爽快感さえ漂う曲でもある。

この曲の歌詞でも、印象的なくだりが登場するのだ。

「最新の女装をした相変わらずの古臭さに、若い成金のような悪趣味を感じてしまう」
「“デビッド、僕はどうすればいい?みんながあそこの玄関で待ってるんだ”“俺に訊くなよ。どんな玄関も俺の知ったことか”」「俺はもう“ティーンエイジワイルドライフ”なんかじゃない」
「君は…(中略)撃ち抜かれるその時に大声で叫ぶ。違う、違うんだ、“ティーンエイジワイルドライフ”の一部なんかじゃない!と」
「誰かが低く囁くだろう、君に会いたいと。でも彼にはどうしようもなかった」「彼もかつては“ティーンエイジワイルドライフ”だったのだが…」

この“ティーンエイジワイルドライフ”とは直訳すると「十代の野生」といった意味だが、これはおそらく、十代の若者が憧れがちな“破滅的ロックスター像”をこの言葉に象徴させているのではないかと僕は思う。

これまで自身がよく見せてきた“女装”を「もはやお馴染みの古臭いやり方」でしかなく、「若い金持ちならではの悪趣味」と切り捨てるボウイ。

そして、もう一人のボウイ自身との自分内対話の形式を取りながら、「みんなが僕に“破滅的ロックスター像”を求めているんだけど、どうしたらいい?」と訊くボウイに対して、もう一人のボウイが「もう俺は破滅的ロックスターじゃないから知らない。そのまま破滅的ロックスターの道を進んでいっても、最後にはオマエも“違う、僕は破滅的ロックスターなんかじゃない”と拒む日が来るだろう」と答える。

最後には「破滅的ロックスターのボウイに会いたいと思う者がいたとしても、もうどうしようもない。だって彼(=ボウイ)は“かつて破滅的ロックスター”だったけど今は違うのだから」と締めくくられる。これまでのボウイらしいボウイを望むファンに対して、まるで第三者が「あの人はもうそんな人じゃないんだよ」と諭すかのように。

このように、「Ashes To Ashes」や「Teenage Wildlife」の歌詞からは、「カルトスターとしてのデビッド・ボウイはもう終了」「これからは、今までのようなやり方とは違う表現をしていく。これからが本当のデビッド・ボウイだ」という、過去のキャリアや評価への決別がはっきりと窺えるのだ。

トム少佐、ジギー、アラジン・セイン、地球に堕ちてきた男、シン・ホワイト・デューク…と、様々な架空のペルソナを自分自身に重ねあわせて音楽活動をしてきたボウイ。しかし、脱ドラッグを果たしたこと、そしてベルリンでの音楽制作の充実。これらによって、“やり切った感”を覚えたのではないだろうか。そして、もう一つ、当時33歳となっていたボウイは、「近いうちにこれまでの表現方法には限界を感じる時が来るだろう。その前に脱カルトスターをしておくんだ」という思いがあったのではないだろうか。

残念ながら実際には、これまでのカルトスター・ボウイの印象が強烈で、評価も非常に高かったため、皆が「分かりました。これまでのボウイは忘れます!」とはもちろんならなかった。次作アルバム『レッツ・ダンス』以降、1980年代のボウイは「かつてのボウイは素晴らしかったが、今のボウイは聴けたものじゃない」という悪評に対する苛立ち、そしてその苛立ちから来る迷走が見え隠れし、彼の音楽キャリアの中で最も微妙な10年間となってしまう。そして、本当の意味で脱カルトスター以降の本領を発揮するのは1993年のアルバム『ブラック・タイ・ホワイト・ノイズ』からとなるわけである。

正直なところ僕も、『レッツ・ダンス』以降、現在に至るまでのボウイには興味を持っていない(アルバム『ヒーザン』から若干また気になるようにはなったが)。

つまり、僕にとってのボウイはやはりカルトスター・ボウイなのだ。そして、そのカルトスター・ボウイの最後を飾るのがこのアルバム『スケアリー・モンスターズ』であり、自ら“カルトスター・ボウイ”を葬るという、見事な締めくくり方をしているところが、このアルバムの素晴らしい点なのである。

Scary Monsters
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